焼け野原だった博多中洲。
ここから、〈味の明太子〉は生まれた。
昭和23年(1948年)10月5日、博多・中洲の一角に小さな食料品店が生まれました。当時博多の街は戦災で焼け野原となり、少しずつ復興の兆しが見え始めたころでした。
店主の名は川原俊夫。妻・千鶴子とともにはじめたこのちっぽけな店が、その後半世紀以上つづく「ふくや」の歴史のはじまりでした。俊夫は戦時中の幼少期を韓国の釜山で過ごしましたが、そこでの庶民の食べ物「たらこのキムチ漬」の味が忘れられず、戦後引き揚げた博多でその味を再現すべく、創意工夫を重ねていきます。そして昭和24年1月10日、商売繁盛を願う十日恵比須神社大祭の日、日本で初めて「味の明太子」を売り出しました。
なによりも素材を大切にしたい。
変わらないその心が、いまも息づく。
<味の明太子>の原料は、スケトウダラの卵巣。これを、独自の調味液に漬けこんでつくりあげます。そのとき最も大切なことは、なによりもまず確かな素材を使うこと。
ふくやは、創業のときから変わらないこの素材への想いをいまも受け継ぎながら<味の明太子>をつくりつづけるとともに、業務用食料品「たべごろ百旬館」の展開も行っています。
「おいしさひとすじ」。創業から変わらぬこの想いこそ、ふくやの理念です。
良いものをより安く、安全に。
そのこころを、届けたい。
品質を守り、いつも変わらぬおいしさを届けたい。その実現のために、ふくやは最先端の生産体制を確立しています。最新設備によって品質の向上を図るとともに、衛生面にも十分配慮。
また、卸しを一切せず、製造直売を守り続けることにより販売価格を低くおさえるなど、お客様に愛される企業としての「こころ」を大切にしています。
人が支えるおいしさだから、
人のチカラを信じ、育てる。
ふくやを支えているのは、社員という「人」にほかなりません。ふくやでは社員一人ひとりの能力を十二分に発揮してもらうために福利厚生面の充実を図っています。余暇時間を豊かに過ごせるよう、各種保養施設やスポーツクラブを確保。社員相互のふれあいと休養の場として活発に利用されています。
また、海外研修をはじめとする多彩な研修システムも整備。一人ひとりが自分を磨き、仲間と切磋琢磨するための環境も整っています。
お客様と向き合い、その声を
新しいふくやに生かしていく。
ふくやでは、直営店による直販方式を守り続けています。これによって味と品質を支え、店頭での対面販売を通してお客様一人ひとりと向き合う。お客様に学びながら、ご意見を商品やサービスに反映させています。販売エリアも、基本的に地元福岡に限定。お客様の顔の見える距離でおいしさをお伝えする。この姿勢もまた、ふくやのこころです。
「ずっと一緒に、もっと一緒に」
この街とあしたを見つめていたい。
中洲に生まれ、博多に育てられたふくやだからこそ、博多への感謝の気持ちを忘れたくない。
そこでふくやは、博多と当社をつなぐさまざまな活動を展開しています。
創業者・川原俊夫が発案した「中洲まつり」をはじめ、「博多祇園山笠」や「博多どんたく」のほか多彩な文化・スポーツイベントをサポートしています。